野口博志 監督

アクションの先駆者 野口 博志(のぐち ひろし)監督

 1913110日 東京市渋谷区幡ヶ谷

【略歴】本名・重一。慶応義塾大学文学部中退。35年に日活多摩川撮影所に助監督として入社、倉田文人らに師事する。39年に監督補となり、「舗道の戦線」を初演出。42年には映画配給社を経て、松竹京都撮影所に入った。

 敗戦を迎えた45年に松竹大船撮影所に移り、54年には再び日活へ戻る。この間、「マドロスの唄」50を戦後第1作として監督し、54年以降は日活で毎年数本の作品を手掛けた。これらはいわゆるプログラム・ピクチャーだったが、大衆娯楽映画作家としての職人資質はよく示されていた。 

 代表作に「俺の拳銃は素早い」54、「俺は犯人じゃない」「地底の歌」56、「復讐は誰がやる」「肉体の反抗」57、「太陽をぶち落とせ」58、「街が眠る時」「昼下がりの暴力」59、「赤い荒野」61のほか、小林旭の「銀座旋風児」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼貼」シリーズなどがある。
 63年の「遊侠無頼」以降は野口晴康と改名。67年5月23日に心筋梗塞のため55歳で死去したが、監督活動は死の直前まで続けられて、遺作となった「関東も広うござんす」は武田一成が引き継ぎ、同年6月に公開された。
 
和田浩治さんの作品は『俺は銀座の騎兵隊』『灼熱の椅子』の主演作2本と『大巨獣ガッパ』の助演作1

他の監督作品 

1955.7.19
地獄の接吻
黒白 91 河津清三郎
利根はる恵・水島道太郎

1956.12.12
地底の歌
黒白 89
名和宏・石原裕次郎

1960.3.26
銀座旋風児目撃者は彼奴だイーストマンカラー 82小林旭・白木マリ

1960.5.14
拳銃無頼帖・電光石火の男イーストマンカラー 86赤木圭一郎

1960.6.4 封切り  俺は銀座の騎兵隊

1963.1.23 封切り  灼熱の椅子

1960.6.4
ポスター

1960.6.4
和田浩治・清水まゆみ

1963.1.23
和田浩治・松原智恵子

1963.1.23
松原智恵子・和田浩治

 チンピラスリのグループと知り合いになった原爆孤児・千鳥三郎(和田浩治)は、トランプさばきからハジキの腕前まで、何をやっても大人顔負けの腕を持つハイティーンの青年。ある日、ひょんなことから三郎とその仲間たちは、遊覧船上で秘密売春や、麻薬密売をたくらむ一味と対決することに。

 大崎組の幹部・野島(木浦佑三)に拾われたチンピラ・カツ(和田浩治)は、裏切りと、殺しを繰り返しながらのし上がって行く。美喜(松原智恵子)は、カツの唯一の心の寄りどころ。

イーストマンカラー 78分 痛快娯楽アクション。
原作:原健三郎 脚本:山崎 巌 音楽:三保敬太郎
美術:小池一美 撮影:永塚一栄

黒白 85分 アクションもの 
原作:藤原審爾 脚本:小川 英、神原孝史 
音楽:山本直純 美術:横尾嘉良 撮影:永塚一栄

1967.4.22 封切り  大巨獣ガッパ

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親ガッパ 藤竜也・和田浩治 -

南海の楽園を開くため、雑誌記者の黒崎浩(川地民夫)が、東都大学生物研究班の教授や研究員らとともに南太平洋にある火山島を訪れたところ、地震がおき、洞窟の中で、卵から孵った生き物(ガッパの子)を発見。その生き物を日本へ持ち帰った事から、子供取り戻そうと、二匹の親ガッパが日本に飛来する。

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イーストマンカラー 84分 特撮もの
原作:渡辺 明 脚本:山崎 巌、中西隆三 
音楽:大森盛太郎 美術:小池一美 撮影:上田宗男

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参考文献 日本映画戦後黄金時代 キネマ旬報社編『日本映画人名事典監督篇(1997年刊)』文中の敬称略


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