アクションの先駆者 野口 博志(のぐち ひろし)監督 | |||||
63年の「遊侠無頼」以降は野口晴康と改名。67年5月23日に心筋梗塞のため55歳で死去したが、監督活動は死の直前まで続けられて、遺作となった「関東も広うござんす」は武田一成が引き継ぎ、同年6月に公開された。 |
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和田浩治さんの作品は『俺は銀座の騎兵隊』『灼熱の椅子』の主演作2本と『大巨獣ガッパ』の助演作1本 | |||||
他の監督作品 |
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1955.7.19 |
1956.12.12 |
1960.3.26 |
1960.5.14 |
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1960.6.4 封切り 俺は銀座の騎兵隊 |
1963.1.23 封切り 灼熱の椅子 |
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1960.6.4 |
1960.6.4 和田浩治・清水まゆみ |
1963.1.23 |
1963.1.23 |
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チンピラスリのグループと知り合いになった原爆孤児・千鳥三郎(和田浩治)は、トランプさばきからハジキの腕前まで、何をやっても大人顔負けの腕を持つハイティーンの青年。ある日、ひょんなことから三郎とその仲間たちは、遊覧船上で秘密売春や、麻薬密売をたくらむ一味と対決することに。 |
大崎組の幹部・野島(木浦佑三)に拾われたチンピラ・カツ(和田浩治)は、裏切りと、殺しを繰り返しながらのし上がって行く。美喜(松原智恵子)は、カツの唯一の心の寄りどころ。 |
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イーストマンカラー 78分 痛快娯楽アクション。 |
黒白 85分 アクションもの |
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1967.4.22 封切り 大巨獣ガッパ |
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親ガッパ | 藤竜也・和田浩治 | - | |||
“南海の楽園”を開くため、雑誌記者の黒崎浩(川地民夫)が、東都大学生物研究班の教授や研究員らとともに南太平洋にある火山島を訪れたところ、地震がおき、洞窟の中で、卵から孵った生き物(ガッパの子)を発見。その生き物を日本へ持ち帰った事から、子供取り戻そうと、二匹の親ガッパが日本に飛来する。 |
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イーストマンカラー 84分 特撮もの |
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参考文献 日本映画戦後黄金時代 キネマ旬報社編『日本映画人名事典監督篇(1997年刊)』文中の敬称略