スクリーンに吹く若い風
和田浩治
               新婦人  S359月号

和田浩治くん 山本恭子

 若い人たちの持つ文句なしの若さの魅力というものが、ほんとうにわかるようになったとゆうことは,残念ながら、自分がほんとに年をとってきたということの証拠ではないだろうか、あるときは、ありのすさびで、自分にいくらかでも若さの残っているあいだは、このように、若さがこれほどいいものだとは思わなかったし、若さの持つ特権のようなものにも気がつかず、目を細めるような想いでそれを鑑賞することもできなかった。

 しかしこのごろは、特に、和田浩治くんなどを見ていると、まず何よりも、その若々しく、ピチピチと新鮮で、清潔な魅力が、しみじみといいもんだなアと目にうつる。

では、僕の魅力は野菜みたいに、新鮮なだけがとりえなんですか、彼が口をとがらせるかもしれないが、もちろん新鮮なだけでスターは売れない。和田浩治くんには、若いとゆうことのほかに大きな魅力があり、それにプラスして、俳優としての素質、また、才能もある。

彼の魅力は現代ハイティ−ンの夢

まず、彼の魅力は、身長五尺八寸、体重十六貫五百という、ノビノビと均整のとれた肢体の美しさ。腰がしまって高く、脚が上身よりもぐっと長くのびきっているこのタイプは、石原裕次郎にはじまって、現代青年の理想像の一つ、特にジーンパンツなどをピッチリとはいたときなどは、股下の長さが、彼の魅力の尺度とさえなりかねないこのごろ,浩治くんも、その点現代青年の魅力に欠けるところはない。

彼が日活のニュウ.スターにスカウトされたのは、日活のドル箱石原裕次郎に大変よく似ているからとゆうことだったらしいが、これはうまく当たった。

誰々に似たとか、誰々の二代目などといって、夢よもう一度式のスター探しは、必ずしもうまいやり方とはいえないし、大ていの場合、一代目にまさるものは見つからないものである。

しかし、石原裕次郎は、これまで日本映画に登場した青年隊としては、全く新しいタイプの一つで、この新しさこそ現代ハイティ−ンの夢のようなものだったから、第二,第三のこのタイプをさがすことは、無意味ではなかった。日活以外の会社でも、第二の裕次郎探しに血まなこになっていた。

それは裕次郎が儲けさせてくれたからというだけの理由からではなく、裕次郎こそ、求められている現代青年隊の代表選手だったからで、各社とも,新人売出しには,いずれもそのタイプに合わせようとしたのだったが,裕次郎ほどの決定打は出せなかった。そして、やはりお膝もとの日活が,それを掘りあてた形になった。

和田浩治くんは、事実,石原裕次郎に大変よく似ている。持っている資質も似たものがある。

一つ一つの造作を見くらべたことはないが,体つきも、顔なども、スナップやスチールの写真で見ると、どうかした角度でそっくりなことがある。珠に笑うと可愛らしい笑顔になり、口元からこぼれる白い歯ならびが凸凹している点なども、そっくりな感じである。

 しかし、和田浩治くんの映画を見ると、彼が石原裕次郎のイミテーションでないことがよくわかる。彼は意識して裕次郎に似ようとはしていないし、彼の動く姿は、やはり和田浩治以外の何者でもない。

三船敏郎の出現は、2枚目の概念を、根底からぐらつかせたといわれた。これまれの蒼白き優男は、エネルギッシュなタフガイにとって代わられそうになった。石原裕次郎は、あたりをへいげいするタフ・ガイに代わって、やんちゃな、お坊ちゃんタイプの太陽族として都会感覚とタフガイの感覚とをミックスした一つの新しい二枚目を創造したのだった。和田浩治くんはそうした新しい2枚目である。

モダーン・ミュージックとスピードとをこよなく愛する現代の英雄。しかも一抹の恥じらいのようなものさえ持った都会的青年像、しかも川地民夫や小林旭にないタフネス(強じんさ)が感じられる点、最も裕次郎に近いものといってよいのではないだろうか。

音楽とスポーツと彼

 彼はご承知のように、わが国のジャズ音楽の開祖のごとき音楽家和田肇氏の次男である。お母さんは元松竹の女優さん。和田氏の次女で、彼のすぐの上の姉さんが「打倒」でデビューして日活の女優になった和田悦子。いわば、彼の家も芸能一家。彼が音楽好きで、その方面に才能を見せたとしても不思議ではない。ドラム、ウクレレ、ギター、ピアノなどの楽器をいじり、歌も勉強している。

私の親戚の中学校一年の女の子が、音痴の声をはりあげて、“トップ・トップ・トップ”と歌っているので、何がトップなのだと思ったら、和田浩治主演「若い突風」の主題歌だという。そこで私も一見に及んだ。

 この主題歌を、彼ははじめてコロムビアでレコードに吹きこんだというが、いかにもこの頃流行の裕次郎ばりな歌い方だが、率直だと思った。そして第一回にしては、素直な上にうまいと思った。音楽家のお父さんついていることだし、練習次第では、彼の歌は裕次郎をはじめ、他のスタア連の余芸の歌を圧してぐんとのびるのではないかと思う。

若さと新鮮な魅力

 彼はまたその第一回作品「無言の乱闘」でデビューしたときから、まことに素直な演技者だった。最近の若いスタアはみんな最初からカメラおじをしないのが多いのだが、彼はこのときの自然な動きで人をおどろかせた。その素直さは「六三制愚連隊」でも「若い突風」でも変わっていない。彼が演技を意識し出したら、果たしてどんな結果になるかわからないが、このまま素直にのびて行ったら、すごいのではないだろうか。

音楽と共に、彼の趣味はスポーツ。自動車の運転はすでに子供のときからお手のものだが、その他オートバイ、水泳、サッカーなど現代青年のチャンピオンたる資格に欠けるところはない。運動神経が発達しているということも、音感に鋭いということも、彼の場合には、演技上達の必至条件の一つという点で重視してよいことのように思える。彼はきっとうまい演技者に成長するのではないかと考えられるのである。

彼へ来るファンレターは一回に軽く五十通はこえるという。彼のそうした人気の根元、魅力の焦点は、やはりいまのところは彼の若さと新鮮さとによることが大きい。

多くの資質をひめているとはいえ、彼はまだ芽をふいて間もない若葉、これからどんな花が咲き、どんな実を結ぶかがたのしみで、彼にかけられる期待は大きい。日活という会社は、若いスタア発見のうまい会社でもあるが、それを気長に育てることより、掘り出したスタアの若さを消耗させることのうまい会社のようである。願わくば和田浩治くんも、過労のために、芽をふいた若葉を立ち枯れにさせないように。

山本京子さん略歴

昭和二年、仙台市 宮城女学校英文科卒業後、プラトン社編集部、ユナイテッド・アーチス日本支社、上海ドイツ総領事館などに勤務、戦後キネマ旬報社同人を経て現在映画世界社勤務のかたわら翻訳、映画評論に流麗の筆をふるう。京都出身。

                                         

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